「人間は考える葦(あし)である」という言葉を聞いたことがありますか?
パスカルの名言です。
実は、この言葉には続きがありまして、
人間は弱い葦(あし)である。自然界の中で最も弱いものの一つである。
しかし、それは考えることができる葦である。
だから人間の尊厳は考えることにある。考える努力をしよう。
しかし、それは考えることができる葦である。
だから人間の尊厳は考えることにある。考える努力をしよう。
という趣旨の言葉が続きます。
そしてパスカルは「人生は暇つぶしだ」とも言っています。
今回はそんなパスカルのパンセを紹介しましょう。
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目次
ブレーズ・パスカルって誰?
プロフィール
パスカル〖Blaise Pascal〗(1623〜1662)フランスの思想家・数学者・物理学者。合理的・抽象的な幾何学の精神と、心情や直観による繊細の精神を区別するとともに、人間性における悲惨と偉大の両極を指摘し、この矛盾を直視し救うものがキリスト教であると覚的使用、確率論の端緒となったフェルマーとの文通などで知られる。著「パンセ」「プロバンシアル」など。した。数学・物理学においては射影幾何学の先駆的業績や流体の圧力に関する原理の発見のほか、真空の存在を立証する実験、計算器の考案、求長・求積法、数学的帰納法の自引用元:大辞林 第三版
「人間は考える葦である」で有名なのですが、一般的には名前は知られていないですね。格言は聞いたことあるかたも多いでは。
パスカルは1663年に生まれ1662年に39歳でなくなりました。ほぼ350年前。日本は江戸時代。
天気予報の「パスカル」の由来でもある
パスカルは哲学者でもありますが、天才的な自然科学者、数学者でもありました。
台風情報などで出てくる○○○○ヘクトパスカルの「パスカル」は彼の発見したパスカルの原理からきています。
パンセ
そんなパスカルが晩年にノートに書いたメモやノートを編集されて出版されたパンセという遺著があります。
「パンセ」は日本語で思想・思考という意味です。 もともとは「キリスト教護教論」として構想されていたものですが、遺族と関係者によって「パスカルの思想」というタイトルで出版されました。
入門には「パンセ抄」がおすすめ
パンセは元々は「キリスト教護教論」として構想されていたものなので、宗教色が強いです。 パンセ抄では、そのような宗教色の強い部分が省かれ、人間関係・仕事・幸福などのジャンルごとに編纂されています。
超訳〇〇な言葉のような構成で読みやすさを意識して書かれてある。入門としてもすっごくお勧めです。
パンセが想定しているターゲットが現代に近い
想定している社会が現代と似ている
パスカルは350年前のフランス人 です。遠い存在かと思われます。
しかし、パスカルのパンセが想定している社会は、はるか未来のユートピア的な社会。というのもパンセは「キリスト教護教論」というタイトルで出版されることを予定していました。
そこでは物が満たされ、食べ物に困ることもなく、職業も好きに選べる。そういうときになったとき、人間は「自分とは何か」「何をしたいのか」ということに直面します。
そのとき、初めて神の存在を自覚するだろうということを目論んで書かれています。
衣食住が満たされている現代社会と似てますね。
かつての人類の幸福は「飢餓の克服」
昔は、私が、家族が、食べるパンがあるか。明日も同じように食べることができるか。生きられるか。
そんな、食べること生きること、それ自体を心配するような時代でした。家族全員で協力し合って、飢え死にをしなうように生きなければいけません。
家庭だけでなく、国全体の問題でもありました。
そういう時代においては、人々が食べるものに困らなくなる。飢餓がなくなる。それが人類最大の幸福だったのです。
現代は何でもできる時代
衣食住に困らない
食べ物にもこまらない、職業も自由に選べる、日本においては生活保護制度があります。餓死する、貧乏で死ぬということはありません。
生きられることが保証されているのです。食べ物に困らないのです。
法の範囲内であれば何をして良いのです。
何をして良いのかわからない
飢餓の克服が人間の幸福だった時代とは違い、「自分が何をして良いのかわからない」という新たな深刻な悩みが生じます。
人間は何にでも向いている
そんな「自分が何をして良いのかわからない」という疑問にパスカルは答えます
人間は屋根葦き職人だろうと、生まれつき、あらゆる職業に向いている。向いていないのは部屋の中でじっとしていることだ(断章138)(出典:パスカル パンセ抄)
人間は何にでも向いてます。唯一向いていないのが部屋で何もせずにじっとしていることだけです(これを科学的に検証した実験があります*1)。
ただこれではどう行動して良いのか、何をしていいのかがわかりません。
そしてパスカルはこう言います
気晴らし、暇つぶしができればそれだけで十分だ
ここの仕事をいちいち吟味しなくとも、気晴らしという観点から眺めればそれだけで十分である(断章137)学(出典:パスカル パンセ抄)
仕事は何でも良くて、作業そのものに没頭できれば何でもいいのです。
何かに熱中している間は人生の悩み、たとえば失恋による悲しみやさみしさからを忘れることができます。
ゲームをしているときは目の前の画面に熱中しています。その間はゲームをクリアーすることに没頭しているのですから、それ以外のことから解放されます。
人生は暇つぶし!好きなこと、楽しいことしよう
人生は暇つぶしです。気晴らしをするために生きるのです。 そうであれば、夢中になれる楽しいもの、作業の過程そのものが楽しいものをした方が良いです。
自分が楽しい・好きだと思える仕事をするのが一番いいです。
おわりに
パスカルのパンセには、このように現代社会の悩みに対する、答えのヒントがちりばめられています。 ぜひパンセ抄をお手にとり、パラパラとめくって気になったところを読んでみることをオススメします。
https://taizochan.com/pensees-a-maxim/
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